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黒の五線

 
03
 
★ Last Update : 2014/3/3 ★
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07
 
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北の空に瞬く北斗七星を目にするたび、あの子に会える気がします。
走るのが大好きな子だから、星空を駆け巡って、お母さんを探しに行ったかも知れないね。
もし会えたなら、赤ちゃんの時に出来なかったぶん、たくさん甘えられるといいね。

ほくちゃんと暮らした4年2ヶ月は、永遠の宝物となるでしょう。
あの夜、決して命を諦めず自分の力で起き上がったほくちゃんの強さは、これから生きゆく私の糧となるでしょう。

はかり知れないほどの幸せを与えてくれました。
それはきっと、ほくちゃん自身が幸せを知っていたからだと信じています。

大好きな大好きなほくちゃん。ありがとう。
 
19
 
4年と3ヶ月と8日。
ほくちゃんはこの世に受けた生を生き切りました。

ほくちゃんはお星様になりました。

今も、ほくちゃんと共に私は日々過ごしています。
ごはんの用意も、「行ってくるね」も「ただいま」も。
装飾が施された白い箱の周りには、お花があり、たくさんのぬいぐるみ達もいて賑やかです。

ごはんは減らない。音もしない。
たくさん食べたね、トイレも上手に出来たねと、撫でてあげることも、手の中で眠ってくれることもない。
だけど、ずっとこの子と生きていく。

11日、夜。
いつも通りの面会。
元気はなさそうだったけど、ヒマワリの種を剥いていた。食べていたかはわからない。
トイレもちゃんと出来ていた。触ろうとするとキィキィ鳴いた。

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その日の昼に行ったという、尿検査の結果を先生が見せてくれた。
突出した数値はないものの、蛋白質と糖分の値が高く、また若干の潜血も見られたのこと。
体調不良による一時的な数値かも知れないから、もう一度検査するとより確実なことがわかるとのことだった。
大学病院から取寄せているホルモン剤は、翌日に入荷する。
退院の目途は立っていないものの、新しい薬が効いてくれたら元気になる。お家に帰れる。
それを願って、信じて、いつも通り病院をあとにした。

間もなくのことだった。私はまだ近くにいた。病院から電話があった。
「ほくとちゃんが痙攣を起こして、目を見開いている。危険な状態」と。

診察室。
このときの姿を、ほくちゃんは私に見せたくなかったのかもしれない。
見せまいと、いつも同じ時間に面会に来る私が帰るまで、じっと耐えていたのかもしれない。
ほくちゃんは横倒れになり、黒い目を大きく開き、背中で大きく速く呼吸をしていた。
酸素が出る管を口元近くにあてがわれ、ショック止めの注射を打たれた。
ほくちゃんはずっと闘っていた。私はずっと泣いていた。

やがて、ほくちゃんの呼吸が落ち着いてきた。
うつろな目をして、気丈にも、2本の手でちゃんと起き上がった。
起き上がって、また少しずつ体が傾いていく。そんな状態だった。
ほくちゃんは本当に頑張っていた。
あのときの姿は、ずっと胸に焼き付いていくだろう。

そして、その日の夜は酸素室で過ごさせるという選択をした。
私が再び病院をあとにしたのは20時過ぎで、診療時間を1時間以上過ぎていた。

家に着いてしばらくすると、病院から電話があった。
携帯電話の画面に病院の名前が出た時点で、ああ、と思った。
やはり、そういうことだった。

苦しんではいなかったと。心臓マッサージもしたが、と。
電話があった時間から逆算すると、22時頃だっただろう。
結果的に、家に連れて帰らなかったことは正解だったと思う。
連れて帰っていたら、自分には何も出来ず、後悔していただろう。
病院は24時間看護ではない。まだ先生がいる時間に、そのときまで、手を施してもらえた。

電話を切ったのち、私はすぐ実家の母親に連絡をした。1時間ほど話した。
電話越しの母は、涙声だったけれど、私に「ちゃんと食事を摂るように」と言った。
「何も食べないで元気もなく落ち込んでいるなんて、ほくちゃんは望んでないよ」と。
ずっと私は、我が子のようなほくちゃんがごはんをしっかり食べることを願っていた。母も、また。

翌日、午前中。
いつもと違う診察室。
ほくちゃんと対面して、思わず口をついて出た言葉は、
「かわいい」
だった。本当にそう思ったから。
いつもみたいにスヤスヤと眠っているようだった。
体重は落ちているけど、やせ細っているわけじゃない。
なでなですると、いつものモフモフのほくちゃんで、すごくかわいかった。

直接の原因は、脳だった。脳と内臓を繋ぐ、呼吸中枢、心臓中枢に異常があったと。
レントゲン写真を撮ったとき片方の肺が白く写っていたが、
脳自体の神経が原因なのか、肺などの内臓から脳に来たのか、それは定かではないとのことだった。
これまでに脳の検査はしていなかった。麻酔が必要となる検査は出来なかったのだ。

驚いたのは、酸素室に入ってからもほくちゃんは自分で起き上がって、
フリースの寝袋の中に自ら入ったということ。
落ち着く場所だったんでしょうね、と先生は言った。
力を振り絞っていたんだね。すごくつらかっただろうに、なんて強い子だろう。

先生は、家に帰らせてあげられなかったと嘆くように言ったけれど、
私は、何の後悔もありません、と伝えた。
飼い主として、してあげられることは全部やったと思う。
ずっとほくちゃんが1番だった。
これからもそうだ。その部分は、何も変わらない。

動かぬほくちゃんを連れて帰宅。
病院では撫でてあげることしか出来なかったから、手の中でそっと抱いた。
えらかったね、よく頑張ったね、と、たくさんたくさん褒めた。
ふと、口元の毛が固まっていることに気付いた。栄養剤のシロップが付いていたんだと思う。
指先で拭いてあげようと、左頬の下の方に触れたときのこと。
「キュッ」とほくちゃんは鳴いた。
空耳や幻聴なんかじゃない。確かに声を聴いた。びっくりした。
正しくは、鳴いたというより、口から空気が漏れて音がしたんだろう。
それでも、こう信じたい。ほくちゃんは私に何か伝えたかったんじゃないか、と。
「きっと『ありがとう』って言ったんだよ」と、母は言う。

アイスノンを買いに行かなくてはならなかった。
退院後は部屋の温度を28℃に、というアドバイスをほんの数日前に受けたばかりだったのに、
今度は出来るだけ涼しくしなくてはならなかった。
冷房を入れ、アイスノンとほくちゃんの好きな食べ物とお花を買いに行った。
病院でヒマワリの種をいつも齧っていたほくちゃんだから、お花はヒマワリを中心に選んだ。
この夏は、この花を欠かさず部屋に飾ろうと決めた。

ほくちゃんの体をこのままにしておくわけにもいかない。
かわいいこの子を、綺麗なうちに。とてもとてもつらいことだった。
実家に帰って庭に埋めることも考えたが、やめた。
独りよがりな考えかもしれないけれど、北斗七星から名前をもらった子だから、
空に、星に還してあげようという思いに至った。
以前お世話になっていた近所の動物病院に電話で事情を話し、ペット葬儀屋を2ヶ所紹介してもらった。
そのうちの1つに決め、次の日の午後に個別葬をお願いした。

キャリーケージの中に、シンプルな白い箱がある。
白い箱の中にはタオルでくるんだアイスノンがあり、その上にほくちゃんは眠っている。
キャリーケージの周りを、いくつものぬいぐるみに囲ませる。
今年の3月3日、無事4才の誕生日を迎えた時に、ごちそうと共に並ばせたぬいぐるみたち。
大丈夫だよ、みんないるよ、とほくちゃんを安心させたかった。
そうでもしないといられなかった。
ずっと眠りの浅い日が続いていた。
夕方のまだ明るい時間にベッドに横になり、日付が変わる頃まで深く眠った。

深夜、ほくちゃんに手紙を書いた。
12時間後、ほくちゃんに持たせる手紙。
外がうっすら明るくなってきた頃、冷たいお布団で眠るほくちゃんを、
お布団ごと手の中に抱いてまた眠った。

午前中のうちに目が覚めると、アイスノンがぬるくなっていた。
ほくちゃんの体が硬くなっていたのは、硬直していたからではなく、
単に外から冷やされていたからだとわかった。
冷やされていないほくちゃんの体は2日前までと同じようにやわらかくてふわふわで、
呼吸をしていないことが不思議に思えてくるくらいだった。
ごはんを何種類も用意し、1つずつ順番に口元まで持っていく。
減ってなくても、食べているんだと思った。いっぱい食べてほしいと願った。

14:30~15:00の間に、葬儀屋さんが家まで迎えに来てくれることになっている。
食べ物、お花、手紙、フリースの寝袋、よくじゃれていたぬいぐるみなど、持ち物の準備も終えた。
あと数時間、どう過ごそうか。
このまま家でほくちゃんを手の中に抱いていようと思っていたけれど、気が変わった。
ピクニックに行こう。ほくちゃんと一緒に、近所を流れる多摩川の畔へ向かった。

梅雨だけど、雨は降っていなかった。
ほくちゃんとここへ来るのは2度目だった。
1度目は、2007年4月15日。ほくちゃんをお迎えした翌日。
あの時と同じ、橋の下へ行ってひと休みをする。
お弁当も持ってきた。
ほくちゃんには、とうもろこしとペットミルク。
私は、とうもろこしの端っこのほうと、ジュース。
ひとつのものを分け合って食べて、美味しいね、って話し掛けるのが日々の楽しみだった。
今日は、とうもろこしを口元へ持っていってもやっぱり減らないけど、たくさん話し掛けた。
たんぽぽと、名前を知らないピンク色の花を摘んで、ほくちゃんにあげた。

緑に広がる草はらを見ていると、
ほくちゃんもこういうところを思いっきり駆けたかったのかな、と思う。
生まれて間もなく引き離された親や兄弟たちと、もっと一緒に過ごしたかったのかな、と思う。
それでも、それでも、はかり知れないほどの幸せを与えてくれたこの子が、
私の元へ来ることが出来て良かったと、幸せだと思ってくれていたら、
ずっと抱いていた想いは本望を遂げる。

家に戻ったのは14時で、花瓶から花を抜いて新聞紙に包んだり、
冷蔵庫に入れていた食べ物を鞄に詰めたりと、最後の支度をした。
14:30過ぎ、予定通りペット葬儀屋さんが車で迎えに来た。
その場所へ向かう車中、ずっとほくちゃんの小さな手を握っていた。

礼拝堂に入ると、近所の動物病院から花束が届いていた。
約1時間後、装飾が施された白い箱を受け取った。

お家に帰ろう、ほくちゃん。
これからはまたずっと一緒にいられるよ。
そしていつか一緒のお墓に入ろう。
ほくちゃんをひとりにはさせないから、安心してね。

お骨上げは、飼い主がすることも出来たけれど、私は職員の方にお願いしていた。
その職員の方曰く、「小さいけれど、しっかりしていました」と。
それを聞いて、嬉しいような、誇らしいような気持ちになった。
しっかりしていたんだ。さすがほくちゃんだな、って。

ほくちゃんは、本来とても元気な子だ。
赤ちゃんの頃から慢性鼻炎があった以外は、今年に入るまで体調を崩したこともなかった。
体も大きめで、体重は130gを超えていたときもあった。
長時間の移動も大丈夫だった。落雷など、人間が驚くような大きな音にもけろっとしていた。
朝から晩まで、よく疲れないなあと思うほどケージ内を走り回っていることもあったし、
部屋に放すとエアコンやカーテンレールの上まで駆け上がった。
いっぱい食べていっぱい動き回ったあとは、手の中で眠ってくれた。

まさか、4才でお星様になるなんてね。

帰宅途中に買った色とりどりのお花を、ほくちゃんのそばに飾る。
ごはんを用意する。ぬいぐるみもたくさん並べる。手を合わせる。
大好きなほくちゃん、お疲れさま。これからもずっと一緒だよ、と。

長くなりましたが、以上が6月11日~13日にあった出来事です。
 
11
 
ほくちゃん、今夜は酸素室で過ごします。

今夜家に連れて帰るか、病院が出来る限りのことをするか、
選択をしなければならない状況となり、後者を選びました。

迷いました。
ほくちゃんにとっての幸せは何か。
私は今何をしてあげるべきか。

命が助かる可能性を考えれば、連れて帰ることは出来ませんでした。
温かいほくちゃんを、今夜この手でそっと抱いていたいけれど。

明日、朝一で病院に行って来ます。
 
10
 
仕事が休みだったので、いつもより早い時間に面会。
いつもは、定時より30分早く退社させてもらっています。

ほくちゃん、変わりなく。体重91g。
昨夜吐いてから、また吐いたりはしていないとのことです。
ヒマワリの種を剥いている姿が見られたから、嬉しかったよ

バリウムを飲ませる検査は明日や明後日でも出来るそうですが、体調を見ながら、ということです。
もう少し食欲が戻って、体重が増えてくれたらな。

入院が長引いてきていて、退院のメドも立っていない状態ですが、
病院としてはいつまででも預かってくれるそうです。
ただそうなると、当然、費用の問題(今だと1日1万円くらい)も出てくるし、
「ペットと飼い主さんにとって、どう過ごすのが1番幸せか、という部分になってくる」
と、先生は仰いました。

そのあたりもちゃんと考えて、答えを出していかなきゃな。

ところで。
面会での様子は、毎日電話で実家の母に報告している。
ほくちゃんももう4才で若くないからいろんな症状が出てくるね、と話していたとき、
「ほくちゃんはリスでいうと何才?」

人間でいうと、ではないらしい。4才です、リスでいうと。
いつか、ほくちゃんだと言ってこんな絵も送ってきたね。忘れないよ。

プロフィール

マリー

Author:マリー

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